九戸城址

こんにちは!
訪問ありがとうございます。今回は岩手県二戸市九戸城址に行ってみました。
九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内にあった城である。後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である。
三方を川に囲まれた平山城で、約34万m2(指定地21万m2)、東京ドームの約10倍です。
画像は拡大出来ます。
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九戸城旧来の姿を止めるのは若狭舘・戸舘等で、本丸は改築された福岡城であることが解っています。本丸は二ノ丸より一段高く土を盛って築かれており、この盛り土から焼けた生活用品や火縄銃の弾丸が出土し、明らかに合戦後の整地です。堀沿いに土塁と石垣が巡り、土塁の高く広い部分は隅櫓跡です。東の追手門は、門と木橋があったところで、南にも二ノ丸と地続きの小口があります。二ノ丸は、本丸の東と南を囲む形で築かれ、周囲に土塁、南に大手門、北には搦手(からめて)門があります。本丸の西側下は三ノ丸で今は市街地です。松ノ丸は、人工の堀で囲まれ、土塁の一部が残り、南東には武家屋敷の在府小路に面して大手門があります。
絶対 間違うって! 狭い道に案内板があったので入って行った僕は・・・・?
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お寺の墓場を城跡と思って写真を撮っていました。
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ペットの墓があったりして。
城郭跡らしいけど 不親切な案内板やな!
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水芭蕉が綺麗で撮っていたら シロが ドブをこいじまった。
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やられちまったと 上を仰いだら・・・・あれが 城跡。
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でした。あの案内板 直した方がいいと思います!
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いつもなら 桜満開となっているはずでしたが。
九戸城(福岡城)の歴史
政実の4代前の光正が明応年間(1492~1501年)に築城。その後九戸氏は着実に勢力を拡大します。
 天正8(1580)年三戸城主南部24代晴政が死去。晩年まで嫡男が無く、一族の田子信直(たっこのぶなお)を後継者に指名。しかし、男子(25代晴継=はるつぐ)誕生後は信直を嫌い世継ぎを撤回。晴政の死後、南部は跡目を巡り、信直指示派と晴継擁護の九戸一派とが対立。晴継も13才で謎の死を遂げ、混迷の中、信直が南部26代目を継ぎます。
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天正18年、秀吉は小田原城攻略後、奥州仕置を開始。小田原不参陣の諸氏を追放しますが仕置軍が去ると残党が蜂起し不穏な状況でした。
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 この機に乗じ政実は翌年3月に挙兵。信直は苦戦を強いられますが、9月1日には奥州再仕置軍が馬淵川流域に到着。6万騎を敵に籠城軍は5千人。
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しかし、苦戦と疲弊の上方軍は4日、九戸氏菩提寺の和尚を使者に、政実の武勲を称え、婦子女や下級武士の助命を条件に和議を勧告、政実はこれを呑み開門しますが、これは謀略で、悉く撫で斬りにされ九戸城はあえなく落城。政実らは、宮城県三迫で処刑、九戸神社と首洗いの池が残っています。
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秀吉の国内統一は完了し、実名ともに配下の諸国大名となった信直に和賀・稗貫・志和の三郡を加封、蒲生氏郷に命じ九戸城を豊臣流の城に改修し授けました。
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信直はこの城を福岡城と改め南部の本拠地としました。その子利直が盛岡城に本拠を移す寛永13(1636)年に廃城となりました。
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場所を確認しましょう。

僕のように間違うと安養寺の墓地に行ってしまいます。
マップコード:209 336 658*66
youtube動画
九戸城跡(歴史的遺跡) 空撮!   九戸城 2012.10.8
イチニサン、のへ のへ、九戸 皆さんも訪ねてみませんか?
風景ブロガーの皆さん突っ走ってごめんなさい!一段落するまで行かせてもらいます。
岩手県記事一覧 それ以外はブログテーマの一覧から見て下さい。(一年ぐらいかかるかも)

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    Excerpt: 九戸城址 いきあたりばったり!/ウェブリブログ Weblog: VISVIM 通販 racked: 2013-07-10 06:29

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