松阪城跡2

こんにちは!
訪問ありがとうございます。今回は松阪城跡2記事目です!
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三層の天守閣がそびえ、それをとり巻いてそれぞれの郭に敵見、金の間、月見等の櫓が配されていた。
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城下町の建設も積極的に進め、城付近の大手町の四つ辻には松ヶ島町の旧家蔵方を移住させ、町の中央に近江日野の商人を、湊町に伊勢大湊の豪商角屋氏を呼び寄せた。
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商業の自由を保証し、後の商都松阪の基盤を築いている。
城が完成して間もない天正18年(1590)、氏郷が小田原合戦の功により、42万石の太守として会津に移封されたため、翌年、服部采女正一忠が3万5千石を領して松阪城主となっている。
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一忠は秀次事件に連坐してその罪を秀吉に問われ、文禄4年(1595)切腹自害して果てた。
同年、古田兵部少輔重勝が次いで城主となり、3万4千石を給せられ、関ヶ原役の後、2万石を加増されている。
重勝は慶長11年(1606)江戸で亡くなり、その子重恒が襲封したが幼少のため弟重治が代行した。
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城跡から見た駐車場ですね!僕の車も止まっています。(残念ながら拡大できませんよ)
元和5年(1619)紀州徳川家の祖、徳川頼宣の領地となったため、石州浜田に移っている。以後、松阪には勢州18万石を統轄する紀州藩松阪城代が置かれた。
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紀州藩領下の松阪城に関して、江戸時代前期の史料には正保元年(1644)に天守閣が風のため倒壊して土台だけになったと記されている。
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その後、寛政6年(1794)には二の丸に徳川陣屋が建てられているが、これは明治10年、失火により惜しくも焼失した。残っていた他の表門、裏門、中門、土蔵等も明治14年頃までには取り壊された。
当時の城中の建物としてはもと隠居丸にあった米蔵のみが、現在、殿町御城番に残っている。・・ということです!
松阪城跡1を見る
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この記事へのコメント

川越芭蕉
2009年06月28日 12:05
遅くなりましたが、まさに巨匠の後姿ではないですか!宜しくお伝えください。
ところで旅日記のリクエストがあります。
1 御在所岳
2 伊吹山 
3 木曾三川公園
4 一夜城
2009年06月28日 20:36
巨匠と相談の上 アップを検討いたします。

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