新宮城址2

こんにちは!
訪問いただきまして ありがとうございます。
新宮城址の 続きです。
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新宮に入りかけたときは 回るつもりもなかったんですが、なぜか寄ってしまいました。
新宮にも城跡があるみたいですから・・・・!!
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石垣が最初から 凄いぞといわんばかりに あちこちにあります。
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本丸の場所には 桜の木が ありました。
時期をあわせてくると 良いでしょうね!
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本丸からの そのままの景色です、熊野川がいい感じに見えます。
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街の 向こう側には 山の上に展望台らしいものが見えました。
あの辺りが神倉神社でしょうか?
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社である。市街地北西部にある千穂ヶ峯の支ピーク、神倉山(かんのくらやま、かみくらさん)の山腹・標高80メートルほどの場所にあり、境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。
御燈祭(おとうまつり)は、和歌山県新宮市の神倉神社の例祭。勇壮な火祭りとして知られる。
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丹鶴姫の碑がありました。
新宮に伝わるもののけ姫、丹鶴姫(たんかくひめ)の伝説。新宮市の熊野川河口付近にある丹鶴城趾には、日暮れになるともののけの姫が出るという伝説があります。
詳しくは ここをクリック
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鎌倉幕府をひらいた源頼朝と、平家を倒したあと悲劇的な最期を遂げる源義経。歴史に名をとどめるこの兄弟の叔母にあたるのが、新宮が産んだ女傑・丹鶴姫だ。丹鶴姫の父・源為義は武家の棟梁であり、源氏の総帥でもあった八幡太郎義家の孫。この為義が後白河院の熊野御幸に検非違使として随行した際、第15代熊野別当・長快の娘をみそめて結ばれる。 「熊野の女房」とか「立田の女房」とか呼ばれていた彼女は、生地の新宮で一女一男を産んだ。女児が丹鶴姫で、男児が新宮十郎行家だ。為義の10男として生まれた行家は、最初は源氏の御曹司らしく「義」の一字をいただいて「義盛」と名乗っていた。新宮で生まれ育った行家が天下の争乱のまっただなかに乗り出すきっかけとなったのは、同じ源氏の源頼政の口ききによる。まっさきに平家に反旗をひるがえした頼政にとって、血筋がよく、弁舌達者な行家は重宝な存在だった。
詳しくは ここをクリック
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与謝野寛の歌碑
「高く立ち秋の熊野の海を見て誰ぞ涙すや城のゆふべに」
明治 39年 11月、 与謝野寛が (北原白秋、 吉井勇、 茅野蕭々を同伴して) 初めて来新した時、詠んだ歌を刻んでいる。 揮毫は画家 ・ 村井正誠。 昭和 61年に建立された。
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これはナンだ?
看板には この五輪塔は 墓石です、室町時代のものと思われますが 詳しいことは解りませんと ありました。
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ここの城跡は 何処にいっても石垣がすばらしい場所でした。
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