永源寺 坂戸市

こんにちは!
今回も訪問いただき 誠にありがとうございます。
今回は 桜が 咲いたので 近くを回って見ました。
最初は 永源寺を 見てみましょう!
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その昔、戦国動乱の天正18年(1590)7月豊臣秀吉が小田原の北条氏直を滅ぼした折、その先鋒として活躍した徳川家康は秀吉より関八州を賜わり領有する処となりました。
天正12年(1584)頃、三河武士旗本嶋田次兵衛尉重次が坂戸とその付近を領有し統治しました。
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(クリックで 拡大できます)
文禄元年(1592)ここに一寺を建立して嶋田家代々の菩提所とし、すでに三河にて隠居し、入道永源と号していた父右京亮利秀を招じて開基とし、その号をとって永源寺の寺号とし、当時関三刹の越生龍ヶ谷の龍穏寺十四世大鐘良賀大和尚を請じて開山(初代住職)としました。
永源寺創立者嶋田重次より三代後、出雲守忠政が長崎奉行の時、中国より伝来せる誕生仏・抱兎官女像・龍馬児遊香炉等の献上を受け、たまたま「丙丁の災」による菩提所伽藍再興を期に、この誕生仏を永源寺に奉納し、その由緒を以って維来降誕仏の祭りを行うこととなりました。
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特に文化10年(1813)、時の名僧黙室良要禅師が永源寺七堂伽藍の完成を期し、禅師の普山式にはその徳をたたえて全国から禅僧が集結したと記されています。そしてその名声と共に、この誕生仏を祝う降誕祭も一躍盛事をみるに至り関東一円に信仰を集めることとなりました。これにより永源寺の寺号よりも「お釈迦さまの寺」と云う呼び名の方が一般的に有名になりました。
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従来降誕祭は旧暦4月8日に行われてきましたが、旧暦はむしろ5月8日に近接することと、また近隣の事情等もあり明治42年以降は5月8日に改められ、平成17年度からはこどもの日の5月5日となりました。このことが更に祭りの隆盛を招くこととなり、釈尊降誕祭花まつり)として年々十万余の人手で賑わいを見せ今日に至っています。
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永源寺に伝わる嶋田家の話の中に、江戸北町奉行嶋田忠政の五男権三郎にまつわる恋物語があります。それは、四代将軍家綱に使え御小姓を勤めていた権三郎と、仙台の外様大名伊達綱宗が、江戸吉原を代表する三浦屋の名妓二代目高尾を奪い合った話であります。
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伊達綱宗は権力と財力によって高尾を奪おうとしましたが、高尾は権三郎に想いを寄せており、権三郎と共に綱宗の手を逃れて坂戸の地に来たと云われています。そして、権三郎は、高尾が病身であったため、尼寺の常福寺にて看病にあたりましたが、萬治3年(1660)2月27日、ついに高尾は生涯を閉じたのでした。
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お釈迦さまの祭りの時には おいらん道中も見られ 大変賑わいます。
それでは 場所を 確認しましょう!

坂戸駅の北口へ 降りたら真っ直ぐ歩くと 右側にあります。
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