琴平神社(直江津)

車で巡る奥の細道
こんにちわ!出雲崎の次は本当は柏崎なんですが 今回2007年は地震の影響で柏崎には入れなかったので 上越市まで 行ってしまいました。
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奥の細道では 弥彦から寺泊-山田と通り出雲崎で宿泊し、新暦8月19日に柏崎に到着。紹介を受けていた天屋弥惣兵衛を訪問するも対応が悪かったので気分を害し鉢崎(はつざき)まで進みここで宿泊した。
翌、20日今町(現・直江津、上越市)に到着し、紹介状を持って聴信寺に行ったが葬儀の最中だったので 出てきてしまった。二日にわたる「気分を悪くする」出来事で芭蕉は嫌気が差していたが、芭蕉を知るものの使いが後を追いかけてきてようやく古川市左衛門の家に宿泊することになり、一件落着となった。
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上越市直江津琴平神社 ここは関川の河口の西側にあります。ここは 
安寿と厨子王の物語の場所です。
供養塔の由来
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 今から約920年前、陸奥岩城の国信夫郡の国守岩城判官正氏は不運にも罪に陥れられ筑紫(九州)に流されました。左遷されていた時、妻と召使い姥竹は安寿姫(14歳)と厨子王丸(12歳)の二子を連れて岩城から父を尋ねて行く途中この直江の津の応化の橋の袂で山岡大夫にだまされて母親と姥竹はさだの二郎に、安寿姫と厨子王丸は越中の人質、宮津の三郎に売られました。知らずにいた4人も港を出ると北と西に漕ぎ別れて行く舟にそれと気付き子を呼ぶ母、母を呼ぶ子、悲嘆のうちに身を投げた姥竹を土地の人々が厚く弔ってここに塔を建てました。
その後安寿姫は悲しみの余り沼に身を投げ死んでしまいました。そこで姥竹の塔の脇に又、小さな塔を建てて弔いました。
 厨子王丸が関白に用いられ丹後の国守となって佐渡にいた母を迎えてこの津を上がった時、土地の人々は温情に感泣し二人のとうに供養した。このような物語です!
鉢崎(現:柏崎)の俵屋六郎兵衛宅に宿泊した芭蕉は1689年7月6日(新暦8月20日)、今町(現:直江津に到着しました。
今町では古川市左衛門の家に宿泊しました。
聴信寺において『文月や六日も常の夜には似ず』の芭蕉の発句で句会が開かれました。
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文月や六日も常の夜には似ず
翌日も聴信寺、夜には地元の俳人元仙(げんせん)宅で句会が開催され、丁度旧暦の7月7日に作ったのが『荒海や佐渡に横たふ天河』です。
高田の医師春庵(しゅんあん)宅に呼ばれ『薬蘭(やくらん)にいづれの花を草枕』を詠んでいます。毎日雨が降り続けここに足止めを喰らったようで、2日更に宿泊し、新暦8月25日ようやく晴れたので、高田を出発
それでは 最後の地図で確認しましょう!

車はこちらに置きますよ。
住所 上越市直江津中央3 
それではいってらっしゃい!

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