羽黒山

車で巡る奥の細道
こんにちわ!今回は 羽黒山の紹介です!
奥の細道絵巻-羽黒山
奥の細道では・・・本文と現代文
六月三日、羽黒山に登る図司左吉と云者を尋て別当代会覚阿闍梨に謁す南谷の別院に舎して、憐愍の情こまやかにあるじせらる。四日、本坊にをゐて俳諧興行。
芭蕉が出羽三山に残した8日間の足跡
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大きな石鳥居を構える羽黒山の登り口に至る。その先の継子坂を下った一行は、須賀の滝の水音が響く祓川の谷あいに出た。須賀の滝は、承応3年(1654年)、天宥が延々と堰をこしらえて、約8km離れた水呑沢からの水を落としたもので、明治初年の神仏分離までは不動の滝と呼ばれていた。(羽黒山資料写真と解説(1))
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祓川をあとに切石段の参道を進み行くと、千歳余の齢を重ねる「爺杉」があり、その背後に、国風文化が栄えたころ、東の武将平将門が創建したと伝えられる五重塔がある。
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芭蕉一行は、このやや上方から一の坂に入ると、二の坂まで千を越える石段を登り、南谷の別院へと向った
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羽黒山の参道に敷かれている石段は総計2446段と言われ、山頂に接する十五童坂まで続いている。
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参道の両側に聳える杉の巨木も、天宥が在職中に植林したものと伝えられ、平成16年の時点で400本以上を数えている。これに混じって樹齢4、500年に達する老杉もあり、直径1mを越すものが至る所で見受けられる。
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ありがたや 雪をかほらす 南谷
芭蕉一行は、三の坂下の参道から南に分岐する細道を五町ばかり歩き、南谷に到着した。宿泊施設も兼ねた玄陽院には、先客として、随行日記に「希有(思いがけなく)観修坊釣雪逢。互ニ泣涕ヌ」と記す、釣雪なる人物がいた。曽良は、懐かしさの余り互いに涙を流したと書いているが、この京都(俳諧書留に「花洛」の人とある)の僧が、芭蕉とも旧知であったかは不明である。
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玄陽院で朝を迎えた芭蕉と曽良は、会覚阿闍梨に謁見するため、昼になって本坊宝前院若王寺に出向いた。本坊で振舞われた昼食は、現在、麺として食する「蕎麦(そば)切り」だった。
食事の後、芭蕉、会覚、呂丸、曽良、釣雪、珠妙、円入、梨水の8名による歌仙の会が、本坊で興行された。
アルバムを見る(08年南谷も行きました)
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羽黒山 hagurosan   羽黒山 【出羽三山】の五重塔(国宝)  羽黒山  ミシュラン ★★★ 三ツ星
それでは位置の確認です

ここの駐車場から歩いて見てください!大変!大変!疲れますから
後は有料道路で上まで行くと言う手があります。
それではいってらっしゃい!
旅の参考に!
羽黒町観光  観光パンフ  鶴岡市観光連盟

月山に進む   http://45723082.at.webry.info/200802/article_20.html
清川に戻る    http://45723082.at.webry.info/200802/article_18.html
奥の細道トップ  http://45723082.at.webry.info/200710/article_17.html
ここで車中泊の僕は 道の駅 庄内みかわ と 道の駅 戸沢に泊まりました。

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